医療系資材で疫学や臨床成績を載せる際に、さまざまな数字を扱います。
「A薬の第3相臨床試験のPFS(無増悪生存期間)中央値は15.3カ月でした」「24カ月時点のOS率(全生存割合)は66.1%でした」「〇〇癌の5年生存率は22%といわれています」「PR(部分奏効)とは腫瘍の大きさが30%以上消失することです」などなど。
原稿を作成するときには、もちろん「ふむふむ」と数字を理解し、それを文章に載せていきます。「さほどPFSは長くはないのね」などは感じますが、正直、それ以上のことは思わないことのほうが多いです。
でも、いざ自分や大切な人がその病気に罹患したときに、数字のもつ意味は一変するでしょう。
その治療におけるCR(完全奏効:腫瘍が完全に消失すること)の割合は治療を受ける人にとっては最重要事項の一つですし、「PRは腫瘍が30%以上消失」と定義されていても「30%って、だから何なの?70%残っていたら、結局何年生きられるの?」と、「簡単に数字で片づけないでほしい」と思ってしまうかもしれません。そして、「発症から5年生きられる割合が20%なら、その20%に入れば良いんだ」、とわずかな数字にすがる気持ち。
臨床成績には個人差があるとはわかっていても、希望の数字にすがってしまう。
「患者さんに寄り添う」というのは、便利な表現で、よく使うコピーです。私も過去にこの表現を使ったことがあります。でもそれを考えているライターも製薬会社も本当に患者さんに寄り添っていたのかなぁと、反省するばかり。簡単に「PFSは・・・、OSは・・・」と口にしているけれど、すべてのデータが人の命の数字なわけです。
COVID-19感染者数の「今日の重症者数は〇名、死亡された方は〇名」というニュースで、重症者数が一人減って、死亡が一人増えると、「あぁ、重症だった方が亡くなったのかな」と思います(もちろん、そうとは限りませんが)。
数字を原稿に載せるだけで終わってしまい、その数字のうしろにあることを忘れてしまいがちではないかと気づきました。
無機質な数字のうしろにも、人の命があることを忘れてはいけないなと改めて思った次第です。
余談ですが、私事、少し脈のリズムが崩れることがあって、医師に「脈拍が40になることがあるんです」と伝えると、医師は「う~ん、徐脈っていうのはね、脈拍30台(39以下)になると注意が必要とは言われるんだよね、だから心配しないで過ごしてください」とのこと。
それは私も知っている、でも、脈拍40も脈拍39も息苦しいのは変わらないじゃないか!・・・とは言えなかったです(ここで気持ちをぶちまけられる患者さんはどれくらいいるのでしょう)。数字で区切らなければキリがなくなるので仕方ないのはわかりますが、やはり数字だけで片づけられると、気持ちはもやもやします。
別のクリニックではすぐに24時間ホルター心電図と心エコーをしてくださいました。こちらから言わなくても私の気持ちに寄り添ってくださった。数字だけでは測れないもの(量れない気持ち)はあるのですよね。
サイエンス分野の原稿を書くときに、一つ一つ感情を込めることはしませんが、それでも数字を目にしたとき、書くときには、その数字のうしろにあるものに少しでも心を近づけられたらと思います。そんなことを考えながら、2021年も仕事納めを迎えようとしています。
今春の独立後、お仕事での新しい出会いもありました。皆様の支えのおかげで幸せな年の瀬を迎えられます。皆様も、どうぞ良いお年をお迎えください。